omiは不発弾

高知っていいところだよねぇ。

思った通りにやってみたら?

 緊急事態宣言解除になり、首都圏以外では県をまたいでの移動も可能になるなど、文字上で見れば以前の生活に戻りつつあります。

 しかし、コロナウィルスの脅威が去ったわけではなく、第二波への不安を世間が抱える中、今までの自粛生活慣れもあって中々出かけにくいものです。出かけるにしても、極力感染リスクの低そうな場所を考えて行くようになりました。おかげで、ここだったらいいかな、ここはちょっとやめておこうかな、などと考えてしまい、なんだかんだ以前のような自由な生活はまだできませぬ。

 

 とはいえ、しばらくの自粛生活に心身共に疲弊していることを実感したあたりから、外へ出て行くことの大切さもまた実感しました。家で引きこもっているだけだと、気持ちは上がらないし、体も休めているようで休まっていない。もとより、日々の疲れはその日毎の食事と睡眠で解消しているつもりなので、疲れを溜めていることはなく。休日に健全な過ごし方をしていないので、かえって疲れております。適度に体を動かしたり、外気を浴びるということが、体を休める上で必要ですね。

 

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 ということで、昨日は本山のJOKI COFFEEに行ってきました。そろそろ美味しい珈琲に癒されたい。珈琲の美味しさはもちろん、落ち着きあるこだわりの食器、ロケーション、空気の綺麗さ、全てが高水準。時期を空けて行くことで、取り扱っている珈琲豆も変わり、その時の気分に合わせながらも、色々な味を楽しむことができるお気に入りの喫茶店。JOKI COFFEEのレビューもしたいと思っていますが、まだ先の話とします。

 

 JOKI COFFEEに通い始めてから珈琲の世界に興味を持つようになり、自分でも淹れてみたいと思うように。とはいえ、器具を揃えるとなるとそこそこお金が掛かります。それは別に構わないとしても、JOKI COFFEEは毎月1回程の割合で珈琲教室をしていたので、それに参加してまず体験をと。しかし、コロナウィルスの影響で教室が中止になっており、2月に参加するはずが、参加できない(開催されていない)まま6月になってしまいました。ここまでの時間を無駄にしてしまったように思うと、もう思い切って始めようかとすら思うようになってきた。

 昨日、マスターと話をすると、このままの状態が続けば7月に開催しようと思うということだったので、そこまで待つかどうするか悩む。むむむ。

 

 

 

 さて、昨日のJOKI COFFEEでは、美味しい珈琲を頂きながら読書と洒落こみました。読書そのものは嫌いでない、どちらかというと好きなものの、普段は一切読まない。家にいると他にやりたいこと、やるべきことがあり、電車通学等でもないので、移動時間に読書をすることもない。結果、ほとんど本は読まず。

 珈琲を飲むだけでなく、本を読むために喫茶店に行っていると行っても過言ではない私です。

 

 物語を読むよりも、考え方などに直接働きかけてくれるような本を読むのが好きございます。

 昨年でいえば、【読みたいことを、書けばいい。(田中泰延)】を読みました。これも中々面白かった。自身の生き方に不安?ではないけども、それを解消したというか、持っていた自信を更に高めてくれた本でした。個人的にw

 

 

 今は、【コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術(阿部広太郎)】を読んでます。ブログも始めたことですし、ちょっと刺激をもらえたらいいかと思いまして。今のところブロガーを目指しているわけでもなく、日記に近い感覚で書いているので、良くも悪くも自己流な書き方ではあります。

 それはそれで構わないのですが、1人でも読者がいる以上、しっかりと伝えていきたい。何よりネット上にアップする以上、人に見せることを意識して始めているので、ただ単に独りよがりな文章でいいわけはなく。人に見てもらうことで、自身のレベルを上げていこうという思いもありますので、スキルアップのために刺激もまた欲しいですね。

 とはいえ、持ち前の面倒くさがりが発動してというか、他にやりたいこともあって時間が限られているので、ブログそのものの魅せ方(フォントやサイズの工夫や、目次等を用いた見やすさ向上など)を雑にしているわしです。そこから反省すべきではあるw

 

 

 話を戻しまして。

 今回読んでいる【コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術(阿部広太郎)】のはじめに、

 

「I LOVE YOU」の訳し方

 

というのがあります。

 

 多少英語を学んだ人であれば誰でもわかる言葉ですが、かの有名な夏目漱石「月が綺麗ですね。」と訳した、という話があります。哲学ですなぁ。早速面白い話だと思いました。

 

 "愛"と無関係な人はいない。

 

 一般的にイメージしやすい性的な愛(恋愛)だけでなく、親子愛、夫婦愛、兄弟愛、友情という人を愛しむ心、音楽や絵などの芸術を愛しむ心など、意識するしないは関係なく、愛は常に溢れている。

 愛を感じた時、それを思い出して、あなたは「I LOVE YOU」をどう訳しますか?

 

 筆者はこれまで、「I LOVE YOUをあなたは何と訳しますか」と講習で会う方々に質問してきたようで、

 「半分こにしようか」

 「今、会えない?」

 「消しゴム落ちたよ」(筆者)

などという訳があった、と本には書かれていた。

 そこにある、温かみのある幸せ、ちょっとした出来事を思い浮かべると、「愛する」とあえて書かなくても、情景や思いが浮かび上がってくる。

 

 言葉遊びといえば安っぽく聞こえてしまいますが、とても面白い。まさに芸術だと思ったことでした。

 

 わしだったらなんと訳すかな?

 

 「ただいま」

 「いってきます」

 「おはよう」

 「お疲れ様」

 「ありがとう」

 

 などと、一通り挨拶が思い浮かんだのだけれども、挨拶ってこんなにも愛が溢れてるのかと思うに至る。これからは挨拶をもっと大切にできそうです。

 

 

 「おい、デュエルしろよ」

なんてのも個人的には愛だ。これぞ正しく愛だ!

 

 冗談はさておき(冗談でもないが)、自分らしさも考えたら、

 「思った通りにやってみたら?」

かも知れない。

 

 

 

 

 

 ここでは、「I LOVE YOU」の訳し方のお話をしたわけですが、これは他のパターンでもできる話ですよね。

 例えば「散歩」。ぶらぶら歩く、散策する、といった意味ですが、別の訳にはできないのだろうか。連想して違った訳を入れることができるのではないだろうか。なんて色々考えてみると面白いなぁなんて。

 

 ここからはわしの思う話です。(本は関係なし)

 これらは、"伝える"、"伝わる"というやりとりです。

 

 

 では、"伝える"、"伝わる"ってなんだと思いますか?

 

 

 伝えるとなると、一般的というかオーソドックスというか、すぐ思いつくのは"言葉"でしょうか。

 言葉はコミュニケーションの一種ですが、伝えるとなると言葉以外にもたくさんあります。手話、文字、記号、ジェスチャー、アイコンタクト。表情、声色も一役買っています。単純に伝えるものとは変わってきますが、音楽、劇、絵、歌、詩、本などの芸術もまた、伝えるものです。これら以外にも伝えるものはたくさんあると思います。料理だって伝えられるものではないでしょうか。

 加えて、伝えるというのは前述した「I LOVE YOU」と同じで、ただ直訳するだけのものとは限りません。単純にそれだけではわからないメッセージが隠れていることも。特に、絵画、劇、音楽、詩などは、受け取る側が想像で補う部分が大きい。

 

 伝えることと、伝わることは別の話。

 冗談が通じない人、なんてよく言うことがありますが、見事に"伝わっていない"ことの例ではないかと。

 

 受け取る側のレベルというか、感性などがモノをいうし、それを考えて伝える必要がある。例えばですが、知識の未熟な子どもに、大人レベルの専門用語なんてまず使わないでしょう?今回の「I LOVE YOU」の話も、まだ難しいかと。

 

 相手にはどうすれば伝わるか。相手はどう思っているか。

 

"伝える"上でこれがとても大切なのではないかと思います。

 

 総じて芸術だと思い楽しんでいるわけですが、これが苦手でして。仕事では苦労しているわしです。。。